RT日記

武蔵野での生活。

2018年7月25日

しかしゲームをやると止まらなくなる。これは依存症と言ってもいいかもしれない。この依存症状は昔からあった。幼い頃から、正確には小学校高学年からだ。小学校高学年。思い出したくないとまでは言わないまでも、とても辛かった時期だ。東京に引っ越してきてほどなくして、中学受験の塾に通うことになった。学校から帰ってきたら塾の予習をし、徒歩15分ほど歩いて塾で21時まで授業を受ける。そして帰って復習をする。(嫌だったのでサボってたけど) その繰り返しだった。また、週末には週間テストと呼ばれるテストを受けるため、毎週ひとりで中野までバスで通った。よくやっていたよなぁ、と我ながら思う。この時期、俺はなにを考えていたのだろう。もはや覚えていないというのが正直なところだ。あのときと現在には、あまりにも大きな断絶がある。それは、子供時代を忘れたというよりは、受験期までに形作られていた柔らかで頼りないこの私という人格が、その後の5年で徹底的に壊され、解体されたという意識があるからかもしれない(事実かどうかはさておき) そして、いまここにいる私は、バラバラになり断片となった私を拾い集め、つぎはぎして復元したものにすぎないと捉えている。私は自分をフランケンシュタインの怪物だと思っている。それは確かに過去の私でできているのだが、ところどころに奇妙なつぎはぎがあり、何かの弾みで中身が血のように噴き出してしまう。あの頃、私はよく家出をした。1ヶ月に1回ほど、家を出て、暗くなるまであてもなくさまよった。異常行動だったと思う。そのときの私はなにを訴えていたのだろう。それは自分自身でもわからない。しかし、あの家出は、確かに叫びだった。自分の部屋の窓からそっと出るたび、公園のベンチで途方にくれるたび、人通りのない歩道橋でうずくまるたび、私の身体はギザギザののこぎりで丹念に切り刻まれていった。そうしなれけばならなかった。