RT日記

武蔵野での生活。

 ワインを飲んでいるとふと「この液体が、遠くの外国で数年前に収穫した葡萄でできている」という事実に深い衝撃を受けることがある。もちろん、そんなことは当たり前だし知識として頭でわかっているのだけど、それでもはっとすることが何度もある。そのワインと僕のかけがえのない出会い、邂逅だといいたいのではない。そうではなく、そういうことが、ワインだけに限らず、ありとあらゆる事物の間に遍在するということに衝撃を受けるのだ。昨日買ったキャベツも、いま着ている服も、履いている靴も、先月見た映画も、過去にどこかの誰かの手によって作られたものだ。それはあまりに当たり前の事実なのに、時としてそれらは私たちの目に入りにくくなっている。その原因は資本主義によるものかもしれないし、記号化された社会ゆえだからかもしれない。消費者として慣れきったからかもしれない。私たちは、すぐそばにあるものに気がつかない。