RT日記

武蔵野での生活。

 ワインを飲んでいるとふと「この液体が、遠くの外国で数年前に収穫した葡萄でできている」という事実に深い衝撃を受けることがある。もちろん、そんなことは当たり前だし知識として頭でわかっているのだけど、それでもはっとすることが何度もある。そのワインと僕のかけがえのない出会い、邂逅だといいたいのではない。そうではなく、そういうことが、ワインだけに限らず、ありとあらゆる事物の間に遍在するということに衝撃を受けるのだ。昨日買ったキャベツも、いま着ている服も、履いている靴も、先月見た映画も、過去にどこかの誰かの手によって作られたものだ。それはあまりに当たり前の事実なのに、時としてそれらは私たちの目に入りにくくなっている。その原因は資本主義によるものかもしれないし、記号化された社会ゆえだからかもしれない。消費者として慣れきったからかもしれない。私たちは、すぐそばにあるものに気がつかない。

 

2018年7月25日

しかしゲームをやると止まらなくなる。これは依存症と言ってもいいかもしれない。この依存症状は昔からあった。幼い頃から、正確には小学校高学年からだ。小学校高学年。思い出したくないとまでは言わないまでも、とても辛かった時期だ。東京に引っ越してきてほどなくして、中学受験の塾に通うことになった。学校から帰ってきたら塾の予習をし、徒歩15分ほど歩いて塾で21時まで授業を受ける。そして帰って復習をする。(嫌だったのでサボってたけど) その繰り返しだった。また、週末には週間テストと呼ばれるテストを受けるため、毎週ひとりで中野までバスで通った。よくやっていたよなぁ、と我ながら思う。この時期、俺はなにを考えていたのだろう。もはや覚えていないというのが正直なところだ。あのときと現在には、あまりにも大きな断絶がある。それは、子供時代を忘れたというよりは、受験期までに形作られていた柔らかで頼りないこの私という人格が、その後の5年で徹底的に壊され、解体されたという意識があるからかもしれない(事実かどうかはさておき) そして、いまここにいる私は、バラバラになり断片となった私を拾い集め、つぎはぎして復元したものにすぎないと捉えている。私は自分をフランケンシュタインの怪物だと思っている。それは確かに過去の私でできているのだが、ところどころに奇妙なつぎはぎがあり、何かの弾みで中身が血のように噴き出してしまう。あの頃、私はよく家出をした。1ヶ月に1回ほど、家を出て、暗くなるまであてもなくさまよった。異常行動だったと思う。そのときの私はなにを訴えていたのだろう。それは自分自身でもわからない。しかし、あの家出は、確かに叫びだった。自分の部屋の窓からそっと出るたび、公園のベンチで途方にくれるたび、人通りのない歩道橋でうずくまるたび、私の身体はギザギザののこぎりで丹念に切り刻まれていった。そうしなれけばならなかった。

オウム真理教13人の死刑囚のうち、7人の刑が6日に執行された。7人のうちの1人は松本智津夫だった。

これで事件は終わった、そう感じる人もいるのかもしれない。 そしてもちろん、終わらないと感じる人も多くいると思う。

 ひとつの事件が終わるとはどういうことだろう。謎が解明され、被告人に刑罰が下される。刑事事件としてはそれで一区切り、終わりとなるのかもしれない。しかし、それでオールクリアーとはほとんどならない。刑が処されたのちも、被害者・遺族たちは事件にひとつ孤独に向き合い続ける。サリンの後遺症に、犠牲者の無念に、親しい人の理不尽な死に、残された謎に、向き合い続ける。彼らの身体的・精神的な安寧が訪れるとき、はじめて事件が終わるといっていいように思う。しかし、それは訪れるのだろうか。極刑でもっても拭いきれない罪。罪は罰で贖うことになるが、罪によって出来た傷は罰では癒すことができない。

 そして松本智津夫以外の、オウムの元幹部たち6人。彼らが残した、取り返しのつかないことをしてしまった、やっていることが正しいことだと疑わなかった、悔しい、申し訳ない、という後悔のことばたち。果たして彼らは異常者だったのか。僕には自分と紙一重、いや何も変わらない人たちだったのではないかと思う。環境が違っただけで。彼らから、僕たちは何かをすくい取ることができるのだろうか。

2018年6月18日(月)

 今朝、大阪を震度6地震が襲った。

 いま夜に書いているんだけど、わかっているだけでも3人の死亡が伝えられている。小学生の女の子、そして80代の男性2人。あまりにも可哀想だ。急激な揺れで身動きが取れず、怯えるひまもなく、倒れてきたものに、あっというまに潰されてしまったのだろう。何を思ったのか。あまりにも可哀想である。亡くなったお子さんのご両親のことを思うと、胸が裂ける思いだ。どうぞ、どうぞ、安らかに。そして大勢の怪我人、損壊に途方にくれる人たち、心の傷を負った、あるいは傷口が開いた、日本中の方々。余震に備えつつ、せめてすこしでも安らかな眠りにつけることを祈っています。

2018年6月10日(日)

 毎日書きたい日記ではあるが、また間が空いてしまった。ある習慣を定着させるというのは(みんなそうだと思うけど俺にとっては)本当に難しい。とはいえ、自分の人生を言語化するという行為は有意義だと感じているのでこの習慣をフェードアウトさせたくない。このままヨレヨレの粘り腰でやっていきたい。

 日記をつけるという行為について考えてみる。日記を書くというのは一体どういう行為だろう。そして俺はなぜ有意義だと感じているのだろう。

 まず記録としての役割だ。今日はあれを食べた、こんな映画をみた、どこにいって誰と会った、などを記録するツールとしてである。日記をつける人は少なくないが、なかには1日の歩数や摂取総カロリー、取り交わした会話を時刻つきで一語一句漏らさず記録する人もいるだろう。いっぽうで「起床 労働 飯 就寝」という簡潔極まる記録をつける人もいるかもしれない。ただ、程度こそあれ、いずれも事務的な行為である。

 そしてこれは当たり前なのだけど、そういう日記の中に、自分にとって目新しい事柄は一切出てこない。日記には自分が経験したことだけしか綴ることができないので、書かれることは全て既知な事柄である。なので正直書いててつまらない。「日記めんどくさい」の感情の根源もここにあるように思う。

 ただし、その「めんどくさい」記録から立ち上るものがある。起こったことに対する感想、そして内省である。この内省こそ、日記が受け持つ2つ目の役割だ。自分に起こったことを「記録」という形で日記に出力する。人は、出力という行為によって、はじめて事柄を自分自身から分離させ、触れられるようになる。その1日(つまり自分の人生の小さな断片)を日記という媒体に言語化し、自身の外に出す。このとき「現在の自分が」言語化した「過去の体験」を「現在の自分」が見つめるというかたちとなる。「現在」が編んだ「過去」を「現在」からみつめる。この時間のズレ。この隙間から内省が生まれる。

2018年6月4日(月)

更新が随分と空いてしまった。

このブログの存在を忘れ去っていたわけではないのだが

だらだらと書かずにきてしまった。

そこに特別な理由はない。

あらゆる習慣に常に付いて回る「めんどくさいな」「意味あんのかな」に負けていたのだ。

いまこれを書いているのも、「これではいかん、書かねばなるまい」という強い意志でもって書いているわけではない。

単純にパソコンを開いたはいいが勉強するのがなんとなくいやだっただけだ。

そこに岸政彦さん「にがにが日記」が更新されているのをしって

「おれもひさびさに書くかな」と軽く思っただけのことだ。

 

人間がある習慣を意識せず行えるようになるには平均して66日ほどかかる、という話を聞いたことがある。

みてみると、この日記は最初の記事である5月11日から18日まで休まず更新していた。

たかだか1週間である。

もうちょっと粘らないといけない。

 

そしてやっぱり、日記を書くのは自分のためになっている気がする。

アウトプットの場所をもつことは、少なくとも俺にとっては

かなりいいことのような気がする。

なにがということを説明することはできないのだが、なんとなく気分がいいのだ。

なので今日からまた書こうと思う。できるだけ毎日。

 

今日は国立新美術館にいってルーブル展を見てきた。

じっくりと見たので3時間以上かかってしまったが、かなりの衝撃を受けた。

このことは明日書こうと思う。

とりあえず勉強に戻る。そしてにがにが日記を読む。

2018年5月18日(金)

 6時半に起床。昨晩はちゃんと飯仕込みをしたから。準備も最小限で済む。いい感じである。コーヒーを淹れて早速勉学。

 最近の読書は岸政彦「はじめての沖縄」だ。これは本当に素晴らしい本だと思う。社会学、生活史の、底力。語り聞きによって徐々に立ち上がる、記号化に抵抗する、ストーリーを拒絶する、太い根っこのような、血脈の通った個人の力。本当に素晴らしい。物語はこういう語り口でワインについて書けたらとても素敵なのではないかな、とぼんやりと思う。俺なんかに何ができるんだって思うんだけど、でも、頭の隅に固く結びつけておこう。

 新聞を読み、ワインの勉強をしたのち出勤。午前中からなんだかとても眠い。なんでだろ、昨日1時ちょい前まで起きてて起床が6時半だったからか。でも睡眠時間6時間って別に足りてるよな。